2014年04月11日

だれだれは

自分の思うように人を動かすのは、至難の業である。
自分がしてほしいことと、人がしたいことは、同じとは限らない。

ナニナニしてくれない康泰領隊
と、不平を言っても、人にナニナニしてほしいなら、それなりの動きをしなければいけない。

してほしいのに、してくれない状態にじっと耐えて、なんの意思表示もしなければ、人にわかってもらえない。
ある程度の働きかけをしなければ、伝わらない。

人によっては、
「なぜ、しない?」
「なぜ、してくれない?」
と、怒って詰め寄るタイプもあるだろう。

そんなふうに言われて、喜んで行動する人はまず、いない。
強制で、動く。

「だれだれは、してくれるのに・・・」
とあきらめ調で愚痴るタイプもあるだろう。
ひたすら、鬱陶しがられる。

「してくれたら、嬉しいな」
と、明るいタイプもあるだろうが、欲求内容による。
どう考えてもしたくないことを、笑顔で爽やかに言われても、したくないものは、したくない。

「わたしなら、こうする同珍王賜豪
そう言って、自分も実践し、ある程度、成果もあがっていて、なおかつ、強制ではなければ、
自然にやってくれるかも知れない。
が、サボりな人には通じない。

「あ、そ。
じゃあ、あなた、がんばってね」
で、おしまい。

動かない人は、テコでも動かない。

どんな表現であれ、要求の内容による。

・・・

人になんと思われようが、評価されなかろうが、一生懸命、自分の道を貫き通す。
その姿を見て、こころを打つものがある場合も、ない場合もある。
家庭内のことであれば、家族は、ある程度の影響や感想を持つだろう。

「うちの方針だ。当然ながら、あなたもしなさい」
頭ごなしに、強制されると、どうなるか。

歌舞伎役者など、代々世襲している家庭は、いかにそのあたりの困難を乗り越えてきたことだろうか。

親の道を引き継ぐ子どもと、まったく正反対の道を選ぶ子どもがいる。
反発したり、自分の道を見つけたり、あるいは、尊敬したり。
それは、子どもが成人になって独自で決めることである。

サラリーマンであったなら、職業的な、そんな葛藤はないだろう。
被雇用者の中でも、公務員がいいとか、メーカーがいいとか、
それなりの身近な見本を見て、特徴を参考にして考えることだろう。

時代の流れというものもある。
武士が最高でも、明治維新以降、武士ってその職業は継げない。
軍人さんも、戦争が終われば、無職。
公家も貴族も、制度、体制が変れば、無職。
地主も小作人も、時間と共に変貌する。

戦後のどさくさから這い上がる人もいる。
高度成長期で、のし上がる人もいる。
時代の波に乗る人も香港如新、乗れない人も、転落する人も、いろいろいる。
すき間や狭間から、零れ落ちる人もいる。
上がったり、下がったり、ジェットコースターの人もいる。

・・・

人を動かす、という話から、大幅に脱線。

子どもは、子どもの道がある。
ある程度の年齢になるまでが、親の義務。
その年齢は、個人差がある。

外国に比べると日本人は過保護の傾向にあると思う。

子どもから大人に成長する過程で、親がどこまで手を出すか、口を出すか。
これまた、親の性格や方針によって、様々だろう。

こうしなさい、ああしなさい、と口うるさく躾ける親。
これは、子どものタイプによっては、効果がある場合もある。
言われなければ、まったく何もしない子どももいる。
自主性ゼロ。
強制しないと、何もしない。

優しく言われると、付け上がって、あんまり真面目に真剣にやらない子どももいるだろう。
厳しいほうがいい場合もある。

だが、ガミガミ怒鳴られ、殴られ、怒られ、叱られ、そんな教育って、わたしは嫌いだ。
体育系やスパルタ系の、厳しい教育なのかどうかは、知らないが。
優しすぎるもの、肝心、肝要なことを抜かしていては、腑抜けで良くない。
今、思えば、厳しくされた辛い時代があってこそ、結果として実を結んだ手ごたえを感じることもある。
何かを習得するには、厳しい時期がないと、優しいばかりでは、なにもモノにならない。

いずれにしても、難しい。

・・・

自分がいいと思ってやっていることを人が見て、人も同調してくれたら最高だが、
哀しいかな、わたしの場合は、ありえない。

人がやっていることを自分が見て、いいなあと同調した場合、真似してみることはある。
取り入れる醫藥網
すべてを取り入れることは、ない。
いいとこ取り、自分仕様。
加算法。

逆の場合もある。
人の悪いところは、自分への注意、戒めの材料にする。
消去法。

どんどんいいところが増えていって、点数が伸びるかというと、そんなことは決してない。
自然消滅していることが多々ある。
良い面も、悪い面も。
補充、補足しないので、目減りしている。

悪い面は、あまり減らずに、良い面が減ったりするので、厄介だ。

・・・

自分を貫き通した、孤独な、でも強いおばあさん、
あのおばあさんのお葬式の話、生き方を、自分なりに消化できる日は来るような、来ないような。
消化できないまま、胸の中、腹の中に、ずっと溶けずに気になって、持ち続けている気もする。
やがて、溶けて内臓に染み入っていくか、あるいは、異物として体外に排出されていくか、
どんなかんじだろう。

自分自身の歩みは、これからも歩み続けていかないとわからない。
  


Posted by kk at 18:11Comments(0)日記