2018年01月05日

2017年機器學習幾大主要進展匯總!

很難相信在人工智能和機器學習領域裏這一年發生了那麽多的事情,很難做一個全麵的係統的匯總。盡管如此,我還是嘗試性的去做了一個匯總,希望能夠幫助大家去回顧一下今天的科技到底發展到了何種程度。首次試用polar的GPS心跳手錶參加訓練,由多位專業的教練帶領。訓練強調心率訓練,因為可以根據心跳更有效地分析過去紀錄,改善肌耐力、體力及心肺功能。而訓練用的M400可以把數據同步到Polar Flow,讓你可以利用手機輕鬆地重溫訓練內容。


1.Alpha Go Zero:創造者的興起


如果讓我必須選擇今年的主要亮點,那就是AlphaGo Zero(論文)。這種新方法不僅在一些最有希望的方向上有所改進(如深度強化學習),而且也證實了這種模式可以在沒有數據的情況下學習的範式轉變(譯者認為:這是思想的轉變,在商業上,給了那麽些沒有大量數據的創新者一個機會)。我們最近也看到了Alpha Go Zero正在推廣到象棋類的其他遊戲。


最近的一項元研究(meta-study)發現在GAN相關研究論文的報告指標上存在係統性錯誤。盡管如此,不可否認的是,GAN繼續發揮著它的獨到之處,特別是當涉及到圖像空間的應用時(例如,漸進式GAN,pix2pix中的條件GANS或CycleGans)。


3.深度學習版的NLP:商業化的開端


今年的深度學習是NLP的天下,特別是翻譯,NLP讓我們感受到了翻譯正在變得簡單容易。Salesforce提供了一個有趣的非自回歸方法,可以處理完整的句子翻譯。也許更具開創性的是Facebook提供的無監督的方法UPV。深度學習也成功的幫助商家讓它們的推薦係統做的更佳的完美。然而,最近的一篇論文也對最近的一些進展提出了質疑,例如kNN與Deep Learning相比有多麽簡單。與GAN研究一樣,人工智能研究的驚人速度也會導致科學嚴謹性的損失,這也不足為奇。雖然人工智能的許多或大部分進展來自深度學習領域,但在AI和ML方麵還有許多其他方麵的不斷創新也應該是值得讓人關註的。


4.理論的問題:可解釋性和嚴密性


與上麵提到的一些問題有些相關的是,許多人批評這種方法的理論基礎缺乏嚴密性和可解釋性。就在前不久,阿裏·拉希米(Ali Rahimi)在他的NIPS 2017談話中將現代AI描述為“煉金術” 。Yann Lecun在一場不可能很快解決的辯論中迅速作出了回應。值得註意的是,今年在嘗試推進深度學習的基礎上,已經看到了很多的努力。例如,研究人員正在試圖了解神經網絡如何深度泛化。Tishby的信息瓶頸理論也在今年作為對某些深度學習屬性的合理解釋進行了長時間的辯論。正在為今年的職業生涯慶祝的辛頓也一直在質疑諸如使用反向傳播的基本問題。佩德羅·多明戈斯(Pedro Domingos)等知名研究人員很快進入節奏,開發了使用不同優化技術的深度學習方法。Hinton提出的最後一個最近的根本性變化是使用(capsule)膠囊(見原文)作為卷積網絡的替代品。
首次試用polar的GPS心跳手錶參加訓練,由多位專業的教練帶領。訓練強調心率訓練,因為可以根據心跳更有效地分析過去紀錄,改善肌耐力、體力及心肺功能。而訓練用的M400可以把數據同步到Polar Flow,讓你可以利用手機輕鬆地重溫訓練內容。


5.服務商的戰鬥:越來越好的開發體驗


如果我們看一下人工智能的工程相關的成果,那麽一年來,Pytorch開始挑起熱潮,成為Tensorflow的真正挑戰,特別是在研究方麵。Tensorflow通過在Tensorflow Fold中發布動態網絡迅速作出反應。大玩家之間的“AI之戰”還有很多其他的戰鬥,其中最激烈的就是圍繞著雲。所有的主要供應商都已經加緊了,增加了他們在雲中的AI支持。亞馬遜已經呈現在他們的AWS,大創新,如他們最近的表現Sagemaker構建和部署ML車型。另外值得一提的是,更小的玩家也紛紛湧入.Nvidia最近推出了他們的GPU雲,這是訓練深度學習模式的另一個有趣的選擇。所有的這些戰鬥無疑在未來都將大力推動工業升級。另外,新的ONNX神經網絡表示標準化是互操作性的重要和必要的一步。


6.始終有待解決的未來的社會問題


2017年,人工智能方麵的社會問題也得到了延續(升級)。伊隆·馬斯克(Elon Musk)繼續推動我們越來越接近殺手級AI的想法,令許多人感到沮喪。關於人工智能在未來幾年會如何影響工作,也有很多討論。最後,我們看到更多的焦點放在AI算法的可解釋性和偏見上。


7.新的戰場:機器學習+傳統行業


最近幾個月來,我一直在從事醫學和醫療方麵的人工智能方麵的工作。我很高興地看到,像“醫療保健”這樣的“傳統”領域的創新速度正在被迅速提高。AI和ML已經應用於醫學多年,從60年代和70年代的專家係統和貝葉斯係統開始。不過,我經常發現自己引用了幾個月前的文章。今年提出的一些最近的創新包括使用Deep RL,GAN或自動編碼器來幫助患者診斷。最近人工智能的許多進步還集中在精準醫學(高度個性化的醫療診斷和治療)和基因組學上。例如David Blei的最新文章通過使用貝葉斯推斷來預測個體是否具有對疾病的遺傳傾向,從而解決神經網絡模型中的因果關係。所有的大公司都投資人工智能在醫療保健領域。Google有幾個團隊,其中包括Deepmind Healthcare,他們在醫學人工智能方麵提出了一些非常有趣的進展,特別是在醫學影像自動化方麵。另外,蘋果公司也在為蘋果手表尋找醫療保健應用程序,而亞馬遜也“秘密”地投資於醫療保健。很明顯,創新的空間已經成熟。


Uber AI團隊在深度強化學習的背景下提出了使用遺傳算法(GA)的非常有趣的想法。在這5篇論文中,團隊展示了GA如何成為SGD的一個競爭性替代方案。看到GA復出是件非常有趣的事情,我很高興看到在未來幾個月裏它可以把我們帶到哪裏。SmarTone家居寬頻頻月費激減低至$130,就可以體驗1000M光纖寬頻!客戶可以選擇家居光纖1000、500、100三種唔同嘅計劃,再送你全港超過 11,000 個WiFi熱點,依家就上網登記,隨時隨地享受超高速上網快感,轉台仲有更多優惠架!


最後,我最近閱讀了關於Libratus如何在單挑無限撲克(這是IJCAI早期論文的一個版本)上擊敗專家的科學論文。而AlphaGo Zero確實是一個非常令人興奮的發展,事實上現實中的大多數問題可以更容易地被吸收到像Poker這樣的不完善的信息遊戲,而不是像Go或Chess這樣的完美信息遊戲。這就是為什麽在這個領域的工作是一個真正令人興奮的重要推動領域前進。除了上麵提到科學論文之外,我還建議你去閱讀以下兩個:在不完全信息遊戲中自我玩的深度強化學習,以及DeepStack:專家級人工智能在單挑無限製撲克中的應用。(來自:雲棲社區翻譯)


原文地址:http://www.sohu.com/a/215992733_642762


  
タグ :學習科技


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2014年12月02日

でなければ


犬の散歩から戻り上の写真を妻に見せると、妻は「こんな遠くにいるネコに、よく気がついたわね」と感心しきりな様子で言った。

「木々を渡る風の音、秋晴れの乾いた空気の中に微かに異質なものを感じてね、常人なら見落とすようなことも、このわたしにかかれば全てお見通し」

「あらまあ生憎今日は雲の多い湿った天気ですし康泰旅行社、全てお見通しならネコなんかより、も少しお金儲けに繋がる話はないんですか」

「ん?まあ……ね」

「いい加減な事ばかり言ってないで、ツブラにお水とご飯をあげて下さい」

妻は呆れたような笑顔を浮かべ、わたしの前から姿を消した。

「ふむ、全くもって詩心の分からぬオナゴじゃ、けしからぬ!」と思ったが、毎々口から出まかせばかり言っているので、ここは身から出た錆と得心した。


ところで写真というものは、過去の一瞬間を捉えて映像に残すもので、捉えられた映像に嘘は無い。

加工されたものはさておき、その一瞬間を写し撮った写真に嘘は無いけれど康泰旅行社、撮られた瞬間の前後の時間に何があったかは一枚の写真からは分からない。

わたしのダボラもそんなところから出たもので、写真では判別もつかないような遠方の猫に気づいたわたしに、妻が妙に感心するものだから悪戯心が起きた。

実はこの写真を撮る数秒前に康泰旅行社、写真右の猫ちゃんは手前の石垣の上に居て、わたしを見ると(あるいは犬か知らん)逃げて行った。

わたしはその姿を犬が道草している間も目で追い、何やら猫が座り込んだ先にもう一匹の猫がいるのが目に入ると、その絵が面白く思えてシャッターを切ったのだった。


でなければ、いくらわたしだって散歩のあいだ中ずっと猫やらカラスの姿を追い求めているわけじゃないから康泰旅行社、あんな遠くで見合っている猫共に気づく筈もない。  


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2014年04月11日

だれだれは

自分の思うように人を動かすのは、至難の業である。
自分がしてほしいことと、人がしたいことは、同じとは限らない。

ナニナニしてくれない康泰領隊
と、不平を言っても、人にナニナニしてほしいなら、それなりの動きをしなければいけない。

してほしいのに、してくれない状態にじっと耐えて、なんの意思表示もしなければ、人にわかってもらえない。
ある程度の働きかけをしなければ、伝わらない。

人によっては、
「なぜ、しない?」
「なぜ、してくれない?」
と、怒って詰め寄るタイプもあるだろう。

そんなふうに言われて、喜んで行動する人はまず、いない。
強制で、動く。

「だれだれは、してくれるのに・・・」
とあきらめ調で愚痴るタイプもあるだろう。
ひたすら、鬱陶しがられる。

「してくれたら、嬉しいな」
と、明るいタイプもあるだろうが、欲求内容による。
どう考えてもしたくないことを、笑顔で爽やかに言われても、したくないものは、したくない。

「わたしなら、こうする同珍王賜豪
そう言って、自分も実践し、ある程度、成果もあがっていて、なおかつ、強制ではなければ、
自然にやってくれるかも知れない。
が、サボりな人には通じない。

「あ、そ。
じゃあ、あなた、がんばってね」
で、おしまい。

動かない人は、テコでも動かない。

どんな表現であれ、要求の内容による。

・・・

人になんと思われようが、評価されなかろうが、一生懸命、自分の道を貫き通す。
その姿を見て、こころを打つものがある場合も、ない場合もある。
家庭内のことであれば、家族は、ある程度の影響や感想を持つだろう。

「うちの方針だ。当然ながら、あなたもしなさい」
頭ごなしに、強制されると、どうなるか。

歌舞伎役者など、代々世襲している家庭は、いかにそのあたりの困難を乗り越えてきたことだろうか。

親の道を引き継ぐ子どもと、まったく正反対の道を選ぶ子どもがいる。
反発したり、自分の道を見つけたり、あるいは、尊敬したり。
それは、子どもが成人になって独自で決めることである。

サラリーマンであったなら、職業的な、そんな葛藤はないだろう。
被雇用者の中でも、公務員がいいとか、メーカーがいいとか、
それなりの身近な見本を見て、特徴を参考にして考えることだろう。

時代の流れというものもある。
武士が最高でも、明治維新以降、武士ってその職業は継げない。
軍人さんも、戦争が終われば、無職。
公家も貴族も、制度、体制が変れば、無職。
地主も小作人も、時間と共に変貌する。

戦後のどさくさから這い上がる人もいる。
高度成長期で、のし上がる人もいる。
時代の波に乗る人も香港如新、乗れない人も、転落する人も、いろいろいる。
すき間や狭間から、零れ落ちる人もいる。
上がったり、下がったり、ジェットコースターの人もいる。

・・・

人を動かす、という話から、大幅に脱線。

子どもは、子どもの道がある。
ある程度の年齢になるまでが、親の義務。
その年齢は、個人差がある。

外国に比べると日本人は過保護の傾向にあると思う。

子どもから大人に成長する過程で、親がどこまで手を出すか、口を出すか。
これまた、親の性格や方針によって、様々だろう。

こうしなさい、ああしなさい、と口うるさく躾ける親。
これは、子どものタイプによっては、効果がある場合もある。
言われなければ、まったく何もしない子どももいる。
自主性ゼロ。
強制しないと、何もしない。

優しく言われると、付け上がって、あんまり真面目に真剣にやらない子どももいるだろう。
厳しいほうがいい場合もある。

だが、ガミガミ怒鳴られ、殴られ、怒られ、叱られ、そんな教育って、わたしは嫌いだ。
体育系やスパルタ系の、厳しい教育なのかどうかは、知らないが。
優しすぎるもの、肝心、肝要なことを抜かしていては、腑抜けで良くない。
今、思えば、厳しくされた辛い時代があってこそ、結果として実を結んだ手ごたえを感じることもある。
何かを習得するには、厳しい時期がないと、優しいばかりでは、なにもモノにならない。

いずれにしても、難しい。

・・・

自分がいいと思ってやっていることを人が見て、人も同調してくれたら最高だが、
哀しいかな、わたしの場合は、ありえない。

人がやっていることを自分が見て、いいなあと同調した場合、真似してみることはある。
取り入れる醫藥網
すべてを取り入れることは、ない。
いいとこ取り、自分仕様。
加算法。

逆の場合もある。
人の悪いところは、自分への注意、戒めの材料にする。
消去法。

どんどんいいところが増えていって、点数が伸びるかというと、そんなことは決してない。
自然消滅していることが多々ある。
良い面も、悪い面も。
補充、補足しないので、目減りしている。

悪い面は、あまり減らずに、良い面が減ったりするので、厄介だ。

・・・

自分を貫き通した、孤独な、でも強いおばあさん、
あのおばあさんのお葬式の話、生き方を、自分なりに消化できる日は来るような、来ないような。
消化できないまま、胸の中、腹の中に、ずっと溶けずに気になって、持ち続けている気もする。
やがて、溶けて内臓に染み入っていくか、あるいは、異物として体外に排出されていくか、
どんなかんじだろう。

自分自身の歩みは、これからも歩み続けていかないとわからない。
  


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2014年01月23日

仕事があまりに忙しく

早いもので、もう年末、12月です。
なんか12月になると、毎年 これといってパッとしたこともせずに
1年が過ぎたような気になり焦るというかなんだか嫌な気分になるのは
私だけでしょうか。

先月はエッセイをお休みしてしまい申し訳ありませんでした。
仕事があまりに忙しく香港如新、帰ってくると夜ご飯作りや洗濯や次の日の弁当準備に追われ、
土日は息子と娘のバイト送迎に実家の母の様子見にと、いっぱいいっぱいでして…(言い訳)。
そんな中、先月、紅葉シーズン真っ盛りの最中に学校の校外学習で京都清水寺に
行ってきました。
京都生まれの私ですが、清水寺に行くのは20年ぶりくらいでしょうか。
五条坂のバス停から寺まで上がったんですが、我がクラス (生徒9人に担任が3人) の
独身若者先生はバリバリ体育会系男、超人のような奴なもんで、坂道を競歩のように歩き、
生徒も私もついていくのに必死。階段は一段飛ばしで上がるし景色を楽しむどころじゃない。
50過ぎの疲れた身体にはキツいよ!
肩で息切って清水の舞台まで上ったら、そこは まあ人、人、人!
正月の初詣かと思うくらいの人出でした。
何より驚いたのが、周りから聞こえる言葉。あっちからもこっちからも前からも後ろからも、
聞こえてくるのはみーんな中国語なんですよ。中国人比率、ハンパない!
きっと日本人より中国人のほうが多いよ。清水からの景色は素晴らしかったけど、
騒々しい中国語になんかお腹一杯な気分になりました。
清水からは三寧坂、二寧坂、一寧坂と降り、石塀小路を通って、南座まで行くのが今回の
コース。
三寧坂では生徒たちがお土産や買い食いで完全に立ち止まり状態。彼らはお土産を買うにも
かなり暇がかかる。悩み倒して生八つ橋ひとつ買うのに20分!
気の短い私はイライラの極致。

(生徒)「チョコ味にするか抹茶味にするか…それとも栗か、やっぱりプレーンかなぁ…」
(私)「京都らしく抹茶にしたら?」
(生徒)「う~ん…でも」
(私)「試食して決めたら?」
ひととおり試食しても決まらず(まぁ決まらないとは思ってたけど)
(私)「変わったらとこでチョコ味にしたら?」
(生徒)「チョコなぁ…あんまり変わったのもイヤやし…」
(私)「そんならプレーンにしとく? 定番やし誰にでも喜ばれるよ」
(生徒)「う~ん、でもせっかく京都来たんやしなぁ」
(私、心の中で)「はよ決めて! 抹茶やろ抹茶!!」
ここで店員さんがいらぬことを言う。「それなら栗なんていかがですか?」
あーっやめて! せっかく抹茶とチョコとプレーンの3種類に絞ったのに、また選択肢広がると
悩み出すやないかnuskin 如新!!
(生徒)「栗かぁ…栗にしようかな」
(私)「そうしとき、栗もなかなかいいよ(何でもいいからはよ決めて!)」
(生徒)「でも抹茶もやっぱりいいし」
(私)「やっぱり京都やし抹茶や抹茶!(さっさと決めてくれ!!)」
(生徒)「でも、お母さんは抹茶好きかわからんし…」
こういうやりとりを20分やるわけです。疲れますよ。結局彼はプレーンに決めました。
私のアドバイスの意味なし。でもこのやりとりがないと彼は決められない。
こういう決められない人が数人いるもんで、お土産買うのは一苦労なんですよ…
お土産も終わりまして、二寧坂へ。有名湯豆腐の店、奥丹の前では本物の舞妓さんがおられ、
美しいぞ、ラッキー。昨今は観光客が舞妓の着付けをしてもらった「なんちゃって舞妓」が
いっぱい街を歩いてるから紛らわしい。
たいていは「なんちゃって舞妓」のほうが化粧が濃くて、まつ毛なんてマスカラのCMのように
バッサバッサの真っ黒。やっぱりどことなく品がないもんです。
着物を着てる若者も多くて(着物を着てたらレストランとかが割り引きになったりする。
着物の街、京都をアピールする京都の作戦)、着物を見てるのも楽しいのですが、
やっぱりなんか薄っぺらい感じ。なんか違うんだよね、京都人としては。
派手ではなくしっとりした着物を着てこそ京都でしょ!!

なんだか人も町並みも様変わりしていて少しがっくりしたんですが、石塀小路だけは
昔のままの姿でほっとしました。
あちこち覗いたり買ったりしたもんで、計画外の時間ロスに、石塀小路から安井神社を通り、
教育に悪いけどラブホテル街を抜けて花見小路を通り、大和小路も見て、やっと南座に
着きました。もちろんさらに競歩でございます。
南座は、まだ「まねき」の看板が上がる前で、南座の舞台裏体験なるものに行きました。
限定された期間中にやってるこの企画、なかなかおもしろい。
南座のお姉さんが、客席から舞台裏まで解説しながら見せてくれるんです。
花道の途中にある「スッポン」(役者が上がったり下がったりする穴) を見たり、
実際に舞台に上がり舞台が回る様子や舞台が上下するのを体験でき、けっこう良いのです。
展示室には波の音を出す道具 (紙を張った籠に小豆を入れ、傾けて波音を出す)や、
舟のきしみ音を出す道具など、昔の人の工夫はすごい。
いろいろ見所満載康泰旅行團、ここオススメです。

南座を出たあとは、競歩どころか飛ぶように歩いて八坂神社へ。
そこからバスに乗って帰ってきました。
朝8時半ころに家を出て、座ったのは昼食の1時間程度で、あとは歩きっぱなしの1日でした。
久々の京都の印象は、なんだか観光客向けに造られた昔ながらの風情に似せた新しい町、って
感じがして、なんとなく、あぁ私も歳とったんだなあ、昔とは違うんや、としみじみと寂しさ
を感じてしまったと同時に、競歩しまくりに足腰ヨレヨレに歳を感じた日となりました。  


Posted by kk at 17:51Comments(0)日記